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巨人

巨人の歴代セカンド(二塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

2020/05/01

12球団で最も長い歴史を持つ巨人。これまで多くの選手が伝統球団のセカンドを守ってきました。

今回はそんな巨人のセカンド(二塁手)を守った歴代選手の成績や最高年俸などを調べ、巨人歴代最強のセカンドについてまとめてみました。

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巨人軍の歴代セカンド(二塁手)一覧まとめ!

まずは1950年以降、そのシーズンの主にセカンドを守った選手を一覧にしてみました。

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 千葉 茂 3 121 0.290 8 45 ベストナイン
1951 千葉 茂 3 114 0.275 8 61 ベストナイン
1952 千葉 茂 3 120 0.312 10 62 ベストナイン
1953 千葉 茂 3 120 0.320 12 80 ベストナイン
1954 千葉 茂 3 120 0.252 7 48
1955 千葉 茂 3 96 0.237 4 30
1956 内藤 博文 28 125 0.225 5 33
1957 内藤 博文 28 124 0.251 6 48
1958 土屋 正孝 25 100 0.246 5 24
1959 土屋 正孝 25 121 0.254 6 41 ベストナイン
1960 土屋 正孝 25 120 0.206 6 27
1961 藤本 伸 8 107 0.158 0 4
1962 須藤 豊 30 92 0.202 0 6
1963 船田 和英 22 125 0.248 6 34
1964 須藤 豊 30 84 0.280 0 24
1965 須藤 豊 30 98 0.231 1 19
1966 土井 正三 6 129 0.245 5 39
1967 土井 正三 6 131 0.289 9 34
1968 土井 正三 6 124 0.293 3 47 ベストナイン
1969 土井 正三 6 129 0.270 6 42 ベストナイン
1970 土井 正三 6 113 0.251 5 19
1971 土井 正三 6 108 0.222 3 21
1972 土井 正三 6 123 0.270 8 37
1973 土井 正三 6 105 0.262 5 31
1974 富田 勝 25 122 0.265 6 27
1975 土井 正三 6 111 0.264 7 27
1976 ジョンソン 5 108 0.275 26 74
1977 土井 正三 6 115 0.260 8 49
1978 土井 正三 6 110 0.285 4 28 ダイヤモンドグラブ賞
1979 シピン 11 117 0.313 27 74
1980 篠塚 利夫 6 115 0.260 6 31
1981 篠塚 利夫 6 116 0.357 7 45 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1982 篠塚 利夫 6 124 0.315 7 67 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1983 篠塚 利夫 6 115 0.304 13 56
1984 篠塚 利夫 6 126 0.334 12 66 首位打者、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1985 篠塚 利夫 6 122 0.307 8 54
1986 篠塚 利夫 6 128 0.291 8 43 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1987 篠塚 利夫 6 115 0.333 7 49 首位打者、ベストナイン
1988 篠塚 利夫 6 116 0.316 6 58
1989 篠塚 利夫 6 119 0.291 4 38
1990 緒方 耕一 44 119 0.259 3 27 盗塁王
1991 篠塚 利夫 6 97 0.266 3 23
1992 緒方 耕一 44 98 0.286 6 30
1993 篠塚 和典 6 66 0.337 4 23
1994 元木 大介 2 90 0.280 4 25
1995 岡崎 郁 5 84 0.206 3 14
1996 元木 大介 2 91 0.229 9 35
1997 仁志 敏久 8 119 0.242 10 39
1998 仁志 敏久 8 106 0.274 11 33
1999 仁志 敏久 8 127 0.298 9 42 ゴールデングラブ賞
2000 仁志 敏久 8 135 0.298 20 58 ゴールデングラブ賞
2001 仁志 敏久 8 140 0.273 20 59 ゴールデングラブ賞
2002 仁志 敏久 8 103 0.244 8 42 ゴールデングラブ賞
2003 仁志 敏久 8 105 0.246 8 34
2004 仁志 敏久 8 137 0.289 28 60
2005 仁志 敏久 8 128 0.269 11 45
2006 小坂 誠 2 92 0.183 0 12
2007 木村 拓也 0 113 0.264 2 29
2008 木村 拓也 0 124 0.293 7 31
2009 脇谷 亮太 23 89 0.268 2 16
2010 脇谷 亮太 23 132 0.273 7 43
2011 藤村 大介 54 119 0.222 0 15 盗塁王
2012 藤村 大介 0 109 0.252 0 10
2013 寺内 崇幸 0 114 0.225 2 12
2014 片岡 治大 8 126 0.252 6 32
2015 片岡 治大 8 113 0.244 10 36
2016 クルーズ 11 81 0.252 11 37
2017 マギー 33 139 0.315 18 77
2018 吉川 尚輝 0 92 0.253 4 29
2019 若林 晃弘 60 77 0.239 5 21
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1950年代

50年代は主に3人がセカンドを守りました。千葉茂選手は39年の入団2年目からレギュラーとして出場し、右打ちを武器に活躍し55年まで守りました。

56年からの2年は衰えが見えてきた千葉選手に代わって8年目の内藤博文選手が守り、58年からは長嶋茂雄選手の入団によりサードからコンバートされた土屋正孝選手が務め、コンバート2年目の59年にはリーグ2位の35盗塁を記録し、ベストナインに選ばれる活躍を見せました。

1960年代

60年は土屋選手が守りましたが、その年限りで国鉄に移籍すると毎年レギュラーが代わることとなります。

61年は藤本伸選手がレギュラーを掴みかけましたが、翌年は大毎からトレードで移籍してきた須藤豊選手、またその翌年は船田和英選手が起用されました。64年と65年は須藤選手が再びポジションを奪いますが、立教大学から入団した土井正三選手の起用が増えていきます。

66年からは土井選手がレギュラーに定着し、68年から2年連続でベストナインを受賞するなどレギュラーの座を確固たるものにしていきます。

1970年代

60年代に続いて土井選手がレギュラーを務める年が多くありました。チームも73年までV9を達成し、土井選手も正二塁手として貢献しました。

74年はチームの方針もあり出場機会が減り、代わって72年オフに南海から移籍してきた富田勝選手の起用が増え、75年は再び土井選手、76年は前年に入団し本職ではないサードを守っていたデービー・ジョンソン選手が回りました。故障による一時帰国があったもののチーム2位の26本塁打を放ち、長嶋監督の初優勝に貢献しましたが、残留交渉が決裂し退団すると77年からの2年間は土井選手がレギュラーに返り咲きました。78年限りで土井選手は引退しますが、現役最終年もダイヤモンドグラブ賞を受賞しています。

79年は大洋で活躍し前年に巨人に入団していたジョン・シピン選手が務め、27本塁打を放ち中心打者として活躍しました。

1980年代

80年代は1人の選手が守り続けます。篠塚利夫選手は80年にレギュラーを掴むと89年までの10年間で首位打者を2回、ベストナインを5回、ゴールデングラブ賞を4回獲得する活躍を見せました。

打率が3割を切った年も3年しかなく、コンスタントに成績を残し、主に3番打者としてチームを引っ張りました。

1990年代

篠塚選手は選手生活の晩年差し掛かると持病の腰痛が悪化し、代わりに緒方耕一選手が抜擢されます。引退後は各チームで外野守備コーチを務めることが多く外野手のイメージが強い緒方選手ですが、内野手としてプロ生活をスタートさせています。プロ4年目の90年に初の規定打席に到達し、盗塁王を獲得しましたがアキレス腱の故障を抱えてのプレーが続き、セカンドのレギュラーとして出場したのはこの年と92年だけでした。

94年と96年は元木大介選手、間の95年は岡崎郁選手が務め、97年は仁志敏久選手がサードからコンバートされました。小柄ながらパンチ力のある打撃と絶妙なポジショニングで打球を処理する守備を武器に巨人のセカンドを長く務めることになります。

2000年代

仁志選手は05年までレギュラーとして君臨し、99年から03年まで4年連続でゴールデングラブ賞を受賞しました。また、シーズン本塁打20本以上を3シーズンで記録するなど長打のある1番打者として活躍し、04年シーズンでは歴代7位タイとなる7本の初回先頭打者本塁打を記録しました。

その仁志選手に代わり06年はロッテから移籍してきた守備の名手・小坂誠選手が起用されますが、打率1割台と低迷します。

07年からの2年は木村拓也選手が主に起用され、08年には規定打席未満ながら自己最高打率を記録し、09年は4年目の脇谷亮太選手が起用されました。

2010年代

10年は09年に続き脇谷選手が務め、セカンドとしては05年の仁志選手以来の規定打席到達者となりましたが、11年は不振に陥り藤村大介選手にポジションを奪われました。藤村選手はこの年盗塁王を獲得し、レギュラー定着が期待されたものの2年でポジションを失い、13年は寺内崇幸選手、14年からの2年は西武からFAで移籍してきた片岡治大選手が起用されました。

西武で盗塁王を4回獲得していた片岡選手でしたが、故障や不振で思ったような成績が残せず、16年はロッテから移籍してきたルイス・クルーズ選手が務めました。そのクルーズ選手も好不調の波が激しく17年は起用されず、日替わりで守る選手が代わる状況が続き、最終的にはサードからケーシー・マギー選手が回り打率.315、本塁打18本、77打点の好成績を収めました。

翌年はマギー選手がサードに戻り、2年目の吉川尚輝選手が抜擢されます。二番セカンドで開幕スタメンを果たすと華麗な守備と俊足に加え、課題とされた打撃でも18試合連続安打を記録するなど活躍を見せましたが、夏場に左手の骨折で離脱しました。

怪我が癒えた19年は開幕から1番でスタメン出場を続け、11試合で打率.390をマークしチームの開幕ダッシュに貢献するも腰痛で離脱し、以降1軍での出場はありませんでした。吉川選手を含め7人が起用され、その中でも交流戦で一時は首位打者に立った2年目の若林晃弘選手が最も多く出場機会を得ましたが、レギュラー定着とまではいきませんでした。

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巨人軍の歴代セカンド(二塁手)年俸ランキング!歴代最高年俸はケーシー・マギー選手の2億6600万円!

ここでは巨人軍歴代セカンドを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はセカンドとして1試合でも出場したことがあるシーズンの数字を記載しています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合数
1 2018 ケーシー・マギー 2億6600万円 0.285 132
2 2016 ルイス・クルーズ 2億4000万円 0.252 81
3 2019 クリスチャン・ビヤヌエバ 2億2500万円 0.223 73
4 2005 仁志 敏久 2億0000万円 0.269 128
5 2014 片岡 治大 1億5000万円 0.252 126

巨人のセカンドは多くの選手が守り、数試合しか起用されなかった選手も多くいます。また、打力を求めて外国人選手を起用するシーズンもありました。

1位はケーシー・マギー選手で、18年の2億6600万円が歴代最高年俸となりました。16年オフに巨人へ入団すると移籍1年目は7月以降にサードからセカンドにコンバートされましたが、首位打者争いを繰り広げる活躍を見せました。18年はサードに戻り21本塁打と84打点を記録する活躍を見せ、セカンドとしても5試合に出場しました。

 

2位は16年のルイス・クルーズ選手2億4000万円です。前年までロッテの正二塁手としてゴールデングラブ賞を受賞するなど活躍し。同年オフに巨人に加入しました。移籍1年目は81試合の出場に終わり、結果が出せないイライラが募りチーム方針に従わないことがしばしば見られました。翌年はシーズン途中に楽天に移籍し、巨人では結果を残せませんでした。

 

3位にランクインしたのは19年シーズンのクリスチャン・ビヤヌエバ選手でした。メジャーリーグでシーズン20本塁打を放った長打力を期待され2億2500万円の年俸で入団しましたが、73試合出場で8本塁打の成績でした。主にサードで起用され、柔らかいハンドリングのグラブ捌きを見せていましたが、セカンドで出場した3試合では慣れていないこともあり平凡な打球をエラーする姿が見られました。

 

4位は05年の仁志敏久選手。プロ2年目の97年からセカンドのレギュラーとして活躍し、主に1番打者として20本塁打以上を3シーズン記録し、04年には28本塁打を記録し自己最高年俸の2億円に到達しました。迎えた05年は打撃不振に陥り、1番を外れて下位打線を打つことも多くあり、巨人のセカンドのレギュラーとして出場した最後のシーズンとなりました。

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5位にランクインしたのは片岡治大選手でした。西武の1番打者として俊足を武器に活躍し、07年から4年連続盗塁王に輝き、08年には最多安打も獲得しました。13年オフにFA権を行使するとなかなかセカンドが固定できない巨人が原監督の現役時代の背番号8を提示する熱意を見せ、獲得に成功しました。1億5000万円で迎えた移籍1年目は、チームトップの24盗塁をマークしましたが、規定打席に到達したものの二軍落ちを経験するなど満足いくシーズンとはならず、翌年以降は毎年故障し出場試合数が減っていきました。

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私が思う最強の巨人軍歴代セカンド(二塁手)は篠塚利夫(和典)選手!

近年はなかなかレギュラーを固定できない巨人のセカンドのポジションですが、歴代最強の選手は12年間レギュラーを務めた、篠塚利夫(和典)選手だと考えます。

ここで、篠塚利夫(和典)選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・野球評論家
生年月日:1957年7月16日
身長:176cm
出身:千葉県
最終学歴:銚子商業高校
血液型:A型

1957年(昭和32年)7月26日生まれ、千葉県銚子出身。銚子商業高校から75年のドラフト1位で読売ジャイアンツに入団、1位での指名は当時の長嶋茂雄監督が強く希望したものでした。プロ2年目の77年に一軍デビュー、4年目の79年から一軍に定着し、以降は94年に引退するまでコンスタントに出場を続けました。92年のシーズン途中に登録名を利夫から和典に変更しています。

プロ19年で1,651試合に出場し、名球会入りはなりませんでしたが1,696安打を放ち、打率.304、92本塁打、628打点を記録しています。規定打席に到達してのシーズン打率3割以上を7回記録し、84年と87年には首位打者に輝いています。また、打撃だけでなく守備も華麗なプレーを見せ、ゴールデングラブ賞を4回受賞しました。

90年の開幕戦で東京ドームのライトポール際に飛球を打ち本塁打の判定となりましたが、ファウルに見えたため疑惑の判定と言われる一打になりました。篠塚選手本人は「ファウルだった」と語っており、原因となったボールと同色の東京ドームの白いポールはこの一打をきっかけに黄色に変更されたエピソードがあります。

50年以降では、巨人のセカンドのレギュラーを最も長く務め、セカンドの選手としては唯一打撃部門のタイトルを獲得しており、生涯打率も3割を超えている巨人歴代最高のセカンドではないでしょうか。

巨人軍の歴代セカンド(二塁手)に関する豆知識

巨人のセカンドは97年から05年までレギュラーを務めた仁志選手を最後に長くレギュラーが定まっていないポジションの一つですが、短期的には活躍した選手がいました。07年からの2年間出場を続けた木村拓也選手もその一人です。

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内外野どこでも守れるユーティリティプレーヤーとして重宝され、06年に途中に広島から巨人に移籍してからもあらゆるポジションで試合に出場しました。07年はレギュラーとして期待されたルイス・ゴンザレス選手が故障により離脱するとその穴を埋め、翌年は開幕から出場を続け自己最高打率を残しました。09年には延長戦でキャッチャー登録の選手を使い果たすと、セカンドから回って10年ぶりにマスクを被りチームの危機を救いました。

原監督は「困ったときの拓也、よく救ってくれた」と話しており、ファンの心に残る名プレーヤーの一人です。

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篠塚和典が教える広角打法 [ 篠塚和典 ]

まとめ

・千葉選手、土井選手、篠塚選手、仁志選手が長くレギュラーを務めていた。

・篠塚選手は首位打者を2回獲得している。

・歴代で一番年俸が高かったのは、2018年シーズンのマギー選手の2億6600万円。

・篠塚利夫(和典)選手は50年以降の選手では最長の12年レギュラーを務め、通算打率.304を記録している巨人歴代最強のセカンドである。

 

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